|
リチャードソン()は、アメリカ合衆国テキサス州中部、ダラス郡とコリン郡に跨る都市である〔By area, 66% of Richardson is in Dallas County, but by registered voters, about 74% of the population is in Dallas County〕。2000年国勢調査による人口は91,803人だったが、2010年では 99,223人と8%増加している。 リチャードソンはダラス市の裕福な郊外住宅地であり、通信系の会社が高度に集中するテレコム・コリダーがある。世界でも最大級の通信・ネットワーク会社であるAT&T、ベライゾン・コミュニケーションズ、シスコシステムズ、サムスン、富士通などを含め、リチャードソン市域約28平方マイル (74.0 km²) の中に、5,000社以上の企業が入っている〔Homes communities 〕。 2006年、CNNの雑誌「マネー」ではアメリカ合衆国で住みたい都市の15位にランク付けされた。テキサス州内では3位だった。2007年、モーガン・クイットノーによる第14回アメリカで最も安全な都市と最も危険な都市表彰では、リチャードソン市が全米で69番目に安全な都市とされた。テキサス州内では5位だった〔Richardson Today, Vol. 20 No. 4, January 2008, Page 4 〕。 2008年、「マネー」によるアメリカ合衆国で住みたい都市の18位にランク付けされた。テキサス州内では4位だった〔MONEY Magazine: Best places to live 2008: Top 100 1-25 〕。2009年、雑誌「ビジネスウィーク」によって毎年報告される「子供を育てるための最良の場所」調査では、リチャードソン市をテキサス州内で2位に位置付けた〔BusinessWeek: Best Place to Raise Kids 〕。 2004年にアメリカ合衆国環境保護庁と運輸省から、通勤者にとって最良の働き場所に認められた。北部テキサス州では初めてのことだった。それ以来2010年まで連続して認定されている〔cor.net 〕。 == 歴史 == === 開拓初期 === 1840年代、それまでコマンチェ族やカド族インディアンが住んでいたリチャードソンの地域に、テネシー州やケンタッキー州からの開拓者が来るようになった。初期の数家族はブレッキンリッジと名付けられた地域周辺に集まった。ここはアメリカ連合国の国務長官で将軍、1857年から1861年までアメリカ合衆国副大統領を務めたジョン・ブレッキンリッジに因む命名だった。この町は現在のリッチランド・カレッジがある場所に近く、雑貨屋、鍛冶屋およびフロイドの宿屋があった〔City's Website, Historical 〕。 南北戦争後、新しい鉄道はブレッキンリッジを通らず、その北西部にある地域が新しい活動の中心になった。ウィリアム・J・ウィーラーが町の土地と鉄道の通行権を寄付したが、町のその名前が付けられることは辞退した。その代わりにダラスからデニソンまでの鉄道を敷いた鉄道建設請負者E・H・リチャードソンに因んで町の名前が付けられた。 リチャードソンの町は1873年に法人化された。当初は雑貨屋、郵便局および薬屋があるだけだった。1908年、電気鉄道のインターアーバンが北はデニソン、南はウェーコ、南東はコーシカーナ、西はフォートワースを結んで運行を始めた。1910年までに最初の電話機、電灯、砂利道が現れ、人口は600人になっていた。1914年、赤煉瓦の校舎が建設された。この建物は現在、リチャードソン独立教育学区の管理事務所になっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リチャードソン (テキサス州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|